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2016年4月

2016年4月 3日 (日)

インターネットによる社会の小衆化

 4月3日のTBSサンデーモーニング「風をよむ」でコメントをさせていただきました。

 私はネットの普及をしてきた立場ですし、ネットによってもたらされる社会の変化を肯定的にとらえています。

 とはいえ、変化には色々な面があります。大きくとらえれば「近代」が終わり新しい時代がやってくるともいえる変化ですが、当然副作用もあるわけです。この副作用を予言したのがCass R. Sunsteinの「Republic.com」です。

 タイトルにあるRepublicは「共和国」ではなく「共同体」のほうです。語源であるラテン語の「res publica」と同じ意味で使われています。 Sunsteinは、ネットがグループ討議を促し、リスキーシフトによる集団極性化を加速させると警告しています。

 ネットはプル型メディアであるため、マスコミのようなプッシュ型メディアよりも極度に選択的接触が進みます。そしてネットには情報が溢れています。ある意見に対して、反対も賛成も、陰謀論もねつ造情報もあります。ネットがプル型メディアである以上、人は自ら好む情報を容易に接種できる一方、気に入らない情報は容易に排除できます。自ら望んで手に入れた情報は、たとえそれが間違っていたとしても、その人にとっては正義になってしまいまい、誤解と偏見を助長していくでしょう。

 そしてネットでは同じような考えの人とつながるのも容易です。1000人に1人しかいないようなマイナーな考え・趣味嗜好の人でもネットで利用すれば容易に結びつくことができます。それはそれで素晴らしいことですが、同調しあい、話し合ううちにリスキーシフトを起こすリスクがあるのだ、ということに気づかないと、いつの間にか怒りの渦に巻き込まれ、極性化した集団の一部となってしまいます。

 いま日本でも米国でも欧州でも、必ずしもネットが原因ではないにしろ、社会が分断され小さい同質性を持つ集団同士が争いをはじめています。日本では排外主義の台頭のほかに、排外主義者に対しての暴力を肯定する集団、多様性を求めているはずが多様性の一部である意見を攻撃する集団、科学的無知に基づく誤解を誤解と気づかないまま、誤解を正そうとする人たちへの侮辱を止めない集団、平和を求めているはずが死ねとか叩き斬るとかいう暴言を繰り返す集団、多種多様な小衆ができあがり、その中でグループ討議からの集団極性化、そして現実世界での暴力や暴言にまで至るようになりました。みな自分は正しいと信じ、違った意見への寛容性を失い、彼らの価値観からみて間違ったものへの侮辱・暴言を苦としないという共通点を持ちます。

 私は自分自身が普及の一端を担ったネットという装置が、人を狂わせ、社会を壊すということが残念でたまりません。人は、実に弱いもので、間違いを犯し、真実を知りたいのではなく、自分の思いこみが正しいと誤解させてくれる情報を好むものなのだ、ということを痛感させられます。

 一度、みな冷静になって、日本における「res publica」とは何かを考えるときになったのかもしれません。

#4月4日に加筆しました。

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