« 情報通信政策フォーラム「統一地方選挙におけるネット選挙運動を振り返る」に登壇します | トップページ | ネットと選挙:プル型メディアとしてのウェブを考える »

2015年6月 3日 (水)

ネットと政治とサイバーカスケード

 昨晩、2015年6月2日にICPFの「統一地方選挙におけるネット選挙運動を振り返る」でおときた駿先生とくさま剛とともにネット選挙についてお話をしてきました。

 私が投げかけた「サイバーカスケード」についておときた先生がブログで言及されていたのでフォローしたいと思います。

 サイバーカスケードはキャス・サンスティーンが著書のRepublic.comで提唱した概念です。Republic.comは翻訳されインターネットは民主主義の敵かという邦題で販売されています。

 サンスティーンは「それまでの社会はマスコミから流れる情報により「共通体験」があり、それが社会に一体化を生んでいた」としています。しかし「ネットの登場により選択的接触が容易になることで時間的・空間的制約がなくなり、同調性が高まるクラスタが沢山できる」としています。クラスタ内では少数派は排除され、グループ討議による集団極性化が頻発するようになるという警鐘をならしました。サンスティーンは、クラスタ上の何気ない同調が”あるとき突然”に極端な攻撃的行動に変化することを、せせらぎが滝のように極端に変化することにたとえて「サイバーカスケード」と名づけています。

 日本では極端は排外主義や極端な反原発運動(補足:あくまで”極端な”です)などがサイバーカスケードの1つといえます。

 おときた先生のように賢い人は自分に対しての苦言をちゃんと理解し、なぜそのように言われるかということを想像することができます。だからおときた先生がサイバーカスケードに巻き込まれるということはないでしょう。問題はそこではなく、すでにサイバーカスケードを起こしている集団に対してどう政治としてアプローチしていくか、また一部の政治家がその渦にまきこまれて自ら扇動役になってしまっている現状をどう打開するかにあります。

 対排外主義に対しては「あいつらの意見はまちがっているから封殺してしまえ」という意見をよく目にしますが、それ自身サイバーカスケードの反対側を扇動しているだけです。政治としてアプローチする場合、なぜそのようなクラスタが出来上がったのか、そこでどういう極論が採用されているのか、そしてその議論の根本には何があってどう解決していくべきなのかという視点が重要になります。

 2020年には東京オリンピックが開催されます。人種差別、民族差別については国際的な関心も高まります。もちろん原発についても話題になっていくでしょう。人間というのはネットを使うとサイバーカスケードを起こしてしまうものなのだということ、人間というのはエラーを持っているのだという前提で今後のネットと政治についての関係が議論されるべきですね、というのが昨晩の私の投げかけでした。


 (参考:田代光輝・ネット選挙解禁は目的を達したか-プル型メディアとしてのネットとクラスタの顕在化-



|

« 情報通信政策フォーラム「統一地方選挙におけるネット選挙運動を振り返る」に登壇します | トップページ | ネットと選挙:プル型メディアとしてのウェブを考える »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 情報通信政策フォーラム「統一地方選挙におけるネット選挙運動を振り返る」に登壇します | トップページ | ネットと選挙:プル型メディアとしてのウェブを考える »